私にいちばん合った薬を。胃がん検査の進歩は、ステージⅣの患者さんの未来を変えた。
近年のがん診療では、病気の原因となっている遺伝子やタンパク質を詳しく調べ、それらに直接働きかける薬を使うことで、病気を治したり、状態を改善したりする治療法が積極的に進められています。
ロシュはこのたび、CLDN18というタンパク質を調べる新しい検査薬を開発しました。CLDN18陽性胃がんの患者さんに、最適な治療薬を見つける手助けをしています。
ある日突然、食べ物の味が変わってしまった。
:quality(90)/)
「おかしいな」と感じたのは、2024年の秋。よく友人たちと行くレストランで食事をしていた山﨑さんは、大好きなはずのステーキの味がいつもと違うことに気がつきました。「シェフが変わったのかなって思うくらい、いつもの味じゃなくて、半分以上残してしまいました」と話す山﨑さん。普段なら考えられないことでした。
実はその数ヶ月前から、仕事のストレスで体調不良が続いていました。会議中に吐き気を感じて途中退席することもあり、「きっと疲れているだけ」と自分に言い聞かせていたそうです。けれど味覚の変化や食欲の低下は日ごとに進行し、自分でつくった料理さえまともに食べられなくなっていきました。
10月末、会社帰りに体調が急変し、駅近くの内科に駆け込みました。処方されたのは逆流性食道炎の薬。一時的に症状は治まったものの、薬をやめると再び体調が悪化しました。違和感を拭えないまま年末を迎えた山﨑さんは、ちょうど案内が届いていた会社の健康診断を受けることにします。その結果を知らせる紙には、「要再検査」「腫瘍の疑いあり」と書かれていました。
ステージⅣのスキルス性胃がんと判明。
:quality(90)/)
年明け、自宅近くの消化器内科で胃の内視鏡検査を受けた直後に、急激な体調悪化に見舞われました。ベッドから起き上がれず、水すら受けつけない。「なんだか熱っぽくて、気持ち悪くて、あの苦しさは人生初でした」。数日後には自力で歩くこともままならなくなり、東京医療センターに緊急入院することになりました。
内視鏡検査で採取した細胞の検査結果は東京医療センターにも共有され、入院後も複数の検査を受けました。腫瘍が悪性であることが判明すると、転移の有無やステージを確認するために胃の一部を切除することになりました。医師からは、ステージⅢであれば手術可能だが、ステージⅣの場合は手術ができないと告げられます。検査の結果はスキルス性胃がん。ステージⅣで腹膜への転移も確認され、手術は困難と診断されました。
丁寧に説明する主治医に、山﨑さんは落ち着いた様子で淡々と質問を重ねました。同席した娘さんは、あっけらかんとし た母の態度に驚いたそうです。山﨑さんは「まるで他人事のような気がして。それだけ、自分のこととして受け止められていなかったのだと思います」と振り返ります。
しかしその後、徐々に現実と向き合い始めました。自分がいなくなったら娘はどうなるのか。飼っている猫たちは。会えなくなる友人たちのこと。生活や仕事のこれから。ふいに襲ってくる様々な不安に気持ちの整理がつかず、ただ戸惑っていたと語ります。
がん細胞の検査で、がんのタイプが「CLDN18」陽性と判明。新しい標的治療薬の対象となることがわかった。
ステージⅣで手術が難しい状況でしたが、主治医は「山﨑さんにいちばん合っている薬を探しています」と言ってくれました。治療薬という選択肢が残されていると知り、希望が見えたといいます。
提示されたのは2種類の治療薬でした。1つは従来の標準的な薬、もう1つは新しい標的治療薬です。主治医は山﨑さんに「どちらを選んでも構いません」と伝え、それぞれの副作用や特徴を丁寧に説明しました。その上で、新しい薬の方が合っている可能性が高いと勧めてくれました。腫瘍内科の先生にもお話を伺い、検査の結果、自分のがんがCLDN18(クローディンエイティーン)陽性であることを知ります。そして、この薬は誰にでも使えるわけではなく、CLDN18陽性の患者に有効性が期待される薬であること、CLDN18陽性患者だから治療対象になれたというを説明を受けました。
当初は自分で治療法を選ぶことに戸惑いもありましたが、この薬を使った治療を受ける決断をします。想定 される副作用が比較的受け入れやすかったこと、信頼する主治医が勧めてくれたこと、そして検査結果から自分に一番合う薬だと判断されたことで、納得して治療を始められました。
昨今の胃がん治療の進歩はめざましく、治療の選択肢が増えてきています。特に胃癌に発現しているバイオーマーカーを調べることで、患者さん一人ひとりに個別化された治療法を提案できつつあることは、大変喜ばしいことです。コンパニオン診断薬のような、患者さんに最適な治療薬を特定できる検査があることは、私たち医師にとっても患者さんにとっても、お互いが自信をもって治療法を決める上で非常に心強いものです。
<東京医療センター 一般・消化器外科 平田雄紀先生>
治療の道のりを支えた思い。
:quality(90)/)
新しい薬による治療が始まりました。初期には副作用も現れたましたが、症状の変化に合わせて薬の量を調整することで、少しずつ身体は回復に向かっていきました。
入院中は、娘さんが付き添い、着替えや日用品など必要なものをすべて揃えてくれました。母と娘、二人暮らし。気丈に振る舞っていた娘さん が陰で泣いていたことも、山﨑さんは知っていました。「この子の将来のためにも、私は元気でいなくちゃ」。その思いが、苦しい時期を支えてくれました。
やがて1回目の治療が終わる頃から、少しずつ食事ができるようになりました。おにぎりやパンを口にできたことが、どれほど嬉しかったか。4回目の治療を受ける前には体重が戻りはじめ、血液検査でも良好な数値が出ました。「普通の人と変わらないですね」と主治医に言われ、思わず笑ってしまったそうです。
また食べられるようになった。その先に、夢ができた。めざす明日に向かって歩む日々。
:quality(90)/)
山﨑さんの支えになったのは、娘さんの存在だけではありません。ひとつは、親しい友人の個展を見に行くという目標。その友人が描いてくれたメッセージ入りの絵は、今も大事に部屋に飾っています。もうひとつは、大好きな格闘家の復帰戦を現地で応援すること。「試合までに体重を戻して、車椅子でも行こう」と毎日のように励ましてくれた友人の言葉に、涙がこぼれたといいます。
「同じように病気や治療に不安を感じている方へ、何か伝えるとしたら?」そうたずねると、山﨑さんは少し考えてから、ゆっくりと言葉を紡ぎました。「主治医の先生に何でも話すこと。大切な人の笑顔を思い浮かべること。そし て、自分が夢中になれるものを持つこと。私はそうやって、気持ちのバランスをとってきました」。その夢中になれるものは、山﨑さんにとって料理でした。退院後は、添加物を避けて、なるべく自分で料理をつくる生活になり、改めて料理の楽しさと大切さに気づいたといいます。「いつか、私と同じように悩んでいる人に、つくった料理を届けられたら」。そう語る山﨑さんの笑顔は、その日いちばん明るく輝いていました。